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カチューシャ…君なき里にも

2012-01-27

〜〜〜〜〜天の夫とともに歌おう…春めぐる歌

稲田陽子

冬の陽射しの中にも、
いつの間にか、そっと近寄っては遠ざかる
かすかな春の息吹…

急な坂道の運転はどうも気が引けるので、冬は車を出さないで
過ごすことにしていたのに、その日は、
どうしても溜まっていた発送をしなければならない。
空はよく澄んで明るい冬の陽射しにあふれていた。
雪質も、多少の湿気を含んで、坂道の路面状態も悪くない。
そこで、意を決して、私は、注文のあった本の発送に向かった。
その道すがら、よく夫の運転する車の助手席から、
何気なく見ていた河川公園の冬枯れた並木道に
差し掛かったとき、ふと、遠くからあの歌が聞こえてくる。
  りんごの花ほころび
  川面(かわも)にかすみたち

何の歌だったのか、題名がすぐには浮かばない。
いかんせんその後の歌詞もすんなりとは出てこない。
何度か記憶をたどり、挑戦するうちに、その後の
歌詞につながった。

  君なき里にも
  春はしのびよりぬ
 
そうなのか。「君なき里にも 春はしのびよりぬ」
その詩のなかの、「君なき里」に私は、
ふいを打たれた。「君なき」いまも、春は、めぐってくる。
こんな歌詞は、少し前なら、絶対に拒否していたにちがいない。
しかし、そのときは、少し違っていた。春がうごめく息吹を
私は、大気の中に感じていたからだった。

坂の上の我が家から見える街の展望も、
ビルや建物が墓場のようにしか見えなかった日々
咲き誇る花の写真も、返ってくるのは、
私の悲しみも絶望も理解しようとせず、
はねのけてしまう野生の生命力からのバリアばかり。
それは、初めて感じる気持だった。
どんなに美しく咲き誇る花も緑さえも、
私の心をはねのけてしまうのだ。
その隔たりに、私は、戸惑い、
この喪失感も悲しみも、寂しさも、
誰にも分からないのだと感じた。

「カチューシャ」というこのきれいな歌すら、
あの日々には、何も感じることもなく、
私の気持を跳ね返してしまったことだろう。

もちろんいまも、そういう気持に陥ることもある。
決してその悲しみも喪失感も忘れることなどない。

グリーフケア(悲しみの癒し)という言葉があるという。
最近、とくに伴侶や愛する人を失ったときには格好の言葉として
想起されるようだ。
私は、その言葉の持つマニュアル化されたイメージに
なじめないが、おそらく私がその当事者だからだとも言える。
どこかに、自分の服ではない別の洋服を来ているような
居心地の悪さ…そういうものをその言葉に感じてしまう。

おそらく悲しみは、その人独自の癒し方でしか癒せないのだろう。
何かの枠に閉じ込められたとしたら、そこに
実存性というものがはたしてあるのかどうかわからない。
病院医療も同じである。
生命の実存は、その人独自のものだからだ。
  
  岸辺に立ちてうたう
  カチューシャの歌
  春風やさしく吹き
  夢が湧くみ空よ

この歌は、ロシアのフォーク歌手に歌われたのが最初だというが、
カチューシャが戦地に赴いた恋人を想う歌なのだそうだ。
イタリアでは、反戦歌として歌われることもあるようだが、ロシアでは、
もっと愛国的な歌らしい。
もっとも、私には、この背景はあまり意味をなさない。それは、
子どものときに習い覚えた懐かしい唱歌のように存在する
記憶の中の生き物だからだ。
それにしても、戦争という過酷な罪を背負う人類の歴史にも、
愛は確かに息づいていることを教えられる。

運転しながら、私は、我が身の多忙すぎる日々を思った。
ある本の出版を頼まれ、あまりにも納期が短い仕事に
日々緊張が走っている。一冊の本の原稿のリライトや校正作業のほかに
発注元、外注先との間に立ってのさまざまなやり取りに、
一筋縄ではいかないことを感じつつ、
果てしなく時間とのバトルが続いている。

そんな多忙な日々にも、春はそっと忍び寄るのか…

  カチューシャの歌声
  はるかに丘を越え
  今なお君をたずねて
  やさしその歌声


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