
●牛が拓いた牧場
北海道旭川市にある斎藤牧場は、「牛が拓いた牧場」である。
険しい山の開拓から、牧草地の造成とその管理、そしてまるで公園のように美しい山の牧場の創造と管理に至るまで、そのほとんどを牛がやってくれている。
しかも牛たちは、自然交配で生まれて健康に育つ。そしてたくさんのおいしい牛乳を斎藤さんに分けてあげているのである。
多くの酪農経営者が行き詰まっていくなかで、斎藤晶さんの牧場はますます元気だ。
その成功の秘密を一言でいえば、「安いコストで楽々と生産できるシステム」を見事に組み上げてしまったからであろう。
そのシステムには、自然環境も、牛の本能や生態も、野鳥や虫、樹木、草の働きなども、すべてが上手に組み込まれている。
その結果、斎藤さんは楽をしながら豊かな牧場経営を楽しんでいる。文字どおり「楽農」を鮮やかに実現してしまったのである。
結論的にいうならば、斎藤牧場は「エコロジー」に裏打ちされた「エコノミー」を実現したと言えるだろう。
自然や牛たちをじっくり観察しながらやってみた結果、全く新しい酪農形態が生まれてしまったのだ。
しかもそのシステムには、酪農畜産だけに留まらない21世紀型の何かがある。
ということから斎藤牧場は、全くユニークな牧場というだけでなく、いまや教育、経営、社会システム、さらにコミュニティのあり方から難病の癒しに至るまで、実にさまざまな分野からの熱い視線を浴びている。
●挫折からの出発
ところで問題は、「なぜ斎藤さんはこのような牧場づくりを始めたのか?」ということだろう。
その理由を一言でいえば、戦後入植した開拓が行き詰まったからであった。
山や原野を鍬で起こし、除草し、タネを蒔き、収穫するという苦しい開拓の営みに、斎藤さんは完全に挫折してしまったのである。
そのとき斎藤さんは熊笹をこぎ分けて山に登った。
そして山頂の一番高い木に登って回りを見渡した。
見れば、野鳥や昆虫たちは自由に楽しそうに飛び回り、木々や草も勢いよく天に向かって伸びている。
「自然の生命はこんなにも生き生きとしているというのに、なぜ朝から夜遅くまで働き詰めの人間は、生活もできないほどに苦しまなければならないのだろう」
そう思った斎藤さんはそのときに、
「よし、自然に溶け込み、自然の中から自分で感じたものだけを組み立てて生きてみよう!」
と決心した。
それは、「それまでの常識への決別宣言」だった。
そしてそこから、斎藤さんの再起の第一歩が踏み出された。

●山の牧場=共生システム
草取りに追われながら育てた作物が野ネズミや野ウサギにやられてしまうのだとしたら、むしろ伸びる草をそのまま利用したほうがいい。
そう思った斎藤さんは、草を利用するためにヤギとヒツジを飼い、やがて一頭の雌牛を手に入れた。
こうして畑は雑草地に変わり、さらに牧草のタネも蒔く。
が、牧草よりも雑草の生育の方が早い。
そこに牛を入れると、食べられた雑草はやがて絶え、牛に踏みつけられた牧草のほうは逆にどんどん密度が濃くなっていく。
斎藤さんは自分で実験と観察を繰り返しながら、牛を使った牧場づくりに挑戦していったのである。
こうして、斎藤さんならではの「蹄耕法」が生み出された。
それはまず山の熊笹を刈り、燃えた灰の上に牧草のタネを蒔く。
それも適材適所に育つようにと七種類のタネを蒔く。
そしてその後に牛を放つというやり方である。
牛たちは、早くも伸びてきた熊笹や雑草の新芽を食べ、同時に牧草のタネを踏みつけて土に定着させる。
もちろん糞尿を落として、土に肥料も入れる。
小さな立木は焼かれて燃え、大きな樹木はそのまま残る。
中間の立木は表面が焼かれてやがて枯死するが、そのまま立っているから牛が歩く邪魔にはならない。
こうした方法で、斎藤さんは熊笹と石だらけの急斜面の山を、たちまち見事な牧場に変えていった。
不毛に見えた八町歩の山はその後どんどん拡大され続け、現在では一三〇ヘクタールもの広大な、そして美しい山の牧場が誕生するに至った。
「山の牧場」と言う理由は、そこが山の機能をそのまま残しているからだ。
地形も表土も石もそのままに残し、もちろん山のあちこちには多くの樹木が残っている。
樹木は雨や雪を抱え込み、それが牧場に渓流や湧き水を作る。
そしてそれが牛や野鳥たちに快適な環境を与えてくれているのである。
樹木は保水や乾燥防止や表土の流出を守ってくれるだけでなく、新緑や紅葉や景観を楽しみ、かつ木の実やキノコなどを求める市民たちからも喜ばれている。
つまり斎藤牧場は、山の景観と機能をそっくりそのまま残した牧場なのだ。
その意味で、そこには「自然と家畜と人間の共生システム」が生きている。
●牛たちが勝手に管理
「そこ」が牧場である限り、その主役は言うまでもなく牛たちである。
で、その主役たちだが、牛は朝五時ごろから搾乳を受け、牛舎を出た後はまず渓流のきれいな水を飲みに行く。
その後は、やがてゆっくりと草を食べながら山を登り、昼には頂上辺りでゆっくりと休む。
行動はそれぞれの勝手にして自由、しかし夕刻には牛舎に向かって一斉に草を食べながら歩き出すから、人間による管理などはほとんど不要だ。
人間側の管理といえば、次なる開拓地を選んで熊笹を刈ることと、笹を焼いた灰の上にタネを蒔くこと、また牧草の状態を観察しながら上手に牛を誘導するために牧柵を管理すること、そして乳搾りくらいのものであろう。
もちろん雪が積もる冬場は牛舎で飼うことになるから、そのための牧草づくりも必要だ。
しかし一般の酪農畜産に欠かせない給餌や糞尿処理の大変さはここにはない。
牛は基本的に草を食べ、糞尿も山に落として、土に肥料として還元してしまうからである。
酪農は乳を搾るのが目的だから、乳量を増やすためにほとんどが優れた種雄牛の人工授精に頼っている。
が、それには一頭当たり一万五千円から二万円の費用がかかる。
これに対して斎藤牧場では、すべてを自然交配に託している。
優れた二頭の種雄牛を雌牛といっしょに放牧すれば、夏までにはいつのまにか雌牛を百%妊娠させてしまうのだ。
また雄牛を山に放つことで、クマの出没からも牧場を守っている。
斎藤牧場の周辺は有名なクマの出没地帯だが、これまでにクマが牧場に現れたことは一度もない。
どうやら雄牛の尿の匂いがクマを敬遠させているらしい。
雄牛はクマよりも強く、クマは自分よりも強い者の前には決して現れないからである。
●へそ曲がり者の発想
斎藤牧場がうまく機能している理由の一つは「安い生産コスト」だが、その基本は、自然の法則や生態系、牛の本能や生態などをうまく利用したものだ。
またお金がかかる牛舎や牧柵、サイロや水飲み場などの設備にも、斎藤さんならではの工夫が凝らされている。
ちなみに牛舎の一部にはビニールハウスも利用し、牧柵には山がふんだんに供給してくれる間伐材を使う。
また水飲み場には廃車トラックを利用し、サイレージを簡単に作るユニークなトタンサイロも独自に開発した。
ほかにも例を挙げればきりがない。とにかくさまざまな工夫を凝らすことにより、斎藤牧場では設備費を圧倒的に圧縮しているのだ。
そうした発想の原点にあるものは、まず「牛は草を食べて育ち、子を産んで乳を出す。その乳を人間が頂戴して生きる」という素朴なものの考え方であろう。
これを基本に、牛を使って熊笹と石ころの山を牧草地に変える方法(蹄耕法)を編み出し、しかも山そのものの景観と機能を守ってきた。
しかし斎藤さんは「へそ曲がり」として異端視され、なかなか長い間評価されることがなかった。
乳量が平均値と比べて低かったこともその一因だったのであろう。
日本の酪農の平均値を見ると、一頭の牛の出す乳量は年間約八千キロから一万キロ。
これに対して斎藤牧場では約四千三百キロである。これだけを比較すれば、確かに斎藤さんの牛は成績が悪い。
が、一般酪農の高い牧場造成費と飼料代、設備と機械費用、人工授精にかかる費用や病気対策費、休む間もない厳しい労働と厳密な管理等々を考えれば、乳量が多くてもコスト高がそれを帳消しにする。
しかもその中で事故や失敗が起これば、たちまち経営は危機に瀕してしまうのである。
●持続可能な牧場経営
斎藤牧場の経営コンセプトは、ずばり「持続可能な牧場経営」である。
それは長期的な視野と環境全体の健全なバランス、つまり「トータルなものの見方」の上に組み立てられている。
そしてそのものの見方こそ、斎藤さんが自然をじっくりと注意深く観察することによって、初めて得られたものであった。
斎藤さんは言う。「開拓に行き詰まったときに発想を切り替えて、畑を起こすのをやめよう、除草もやめようとしたとき、何が残ったかというと草でした。
山では、人間が伐採しなくても古木は倒れ、植林しなくても若木は伸びてきます。
同じように草は、人間が蒔かなくても自然に生えてくる。
そして生えてきたその草を家畜が食べるというのはきわめて当たり前のこと。
動物の生態を考えればそれが一つの自然です。
だから、自然をそのまま認めて、そこに少しだけ手を加えてやれば、ひとりでに勝手に素晴らしいシステムができていく。
農業はこういう方法をとらなければならない、人間だけの都合で決めてはいけないと思うのです。
酪農は本来、家畜を利用する農業なのですから、牛の本能をそのまま素直に引き出してやれば良いのです」

●市民に牧場を開放
斎藤牧場では、山は山らしくそこに聳え、樹木も草も微生物もそれぞれの働きをする。
その中で牛たちはのんびり草を食べながら次々と牧場を広げ、かつ公園のように美しい山の牧場を守っている。
自然の働きをそのままに認め、そしてふと気がついてみたら、これまでとは全く違った山の牧場ができあがっていた。
そこで斎藤さんは考える。
「これは自分が苦労して作り上げた牧場ではない。自然や牛たちが作ってくれた牧場なのだ」と。
だからこそ牧場を訪れる人々に、惜しみなくおおらかに牧場を開放した。
その結果、山の牧場にはいまたくさんの山小屋やしゃれたコッテージが建つようになった。
山の教会もあれば、庵やバンガローやバーベキューハウス、そしてフィンランド建築もある。
それらのオーナーは無償で斎藤さんから土地を借り、その代わり自分で使わないときには市民たちに開放する。
こうして四季折々、斎藤牧場は自然を愛する市民たちで賑わっている。
また農林省管轄の社団法人もここにログハウスの研修センターを作り、希望者には費用を負担して斎藤方式の牧場づくりの研修をサポートしている。
そんなこともあり、研修所はいつも若い研修生たちでいっぱいだ。
かつては異端視されてきた斎藤牧場も、いまや「次代のモデル」として注目されているのだ。
もちろんマスコミなどからの取材も相次ぎ、出版物やTV放映、ビデオ作品なども増えてきた。
親切にもインターネットで紹介しようとする人もいる(これもそうだが)。
斎藤さんがこれらを自費でやったら大変な金額になるだろうが、そのすべてを勝手にみんながやってくれるのだ。
これまた「そのままみんなの働きを認めれば、ひとりでにシステムができあがっていく」という、斎藤さんならではの考えを見事に実証するものであろう。
独占や管理に徹すれば外からの参加者の余地もなくなるが、その反対に山の牧場をおおらかに開放してしまえば、不思議と「山のシステム」が豊かにふくらんでいく。
そしてそのメリットを参加する者みんなで分かち合うのである。
「経済の基本は、みんなで仲良くすることですよ」
これは斎藤さんの口癖だが、まさに真の意味での「みんな仲良く」が斎藤牧場を作りだしてきた。
山とも仲良く、牛とも仲良く、市民とも仲良く…。
そこにあるのは共生の思想…。
自然の恵みをみんなで共有し合い、平等に分かち合おうという姿勢である。
●乳と密が流れる地
とにかく斎藤さんの経済思想には「幸福論」なるものがある。そこには「経済とはそもそも何だったのか?」という根源的な問いがある。
そしてその幸福論は産業論、経営論、教育論、社会論をも貫通し、それが全く新しい21世紀型モデルを予感させてもくれている。
その意味で、現行の価値観やシステムが行き詰まるほど、斎藤牧場の生き方がいよいよ浮き彫りになり、人智や努力の限界が見えてくるほど、そこでの自然のパワーやシステムの偉大さが際だってくる。
斎藤牧場は、農業も企業経営も、自然を破壊したり収奪したりするのではなく、自然の生産力にあずかって、自然に働きかけて自らもその循環の中に生きることだとメッセージしてくれているかのようだ。
「日本列島は七割が山ですから、こうした方法で牧場を作ったら過疎地や中山間地は宝の山になりますよ。
大事なことは、山には何もないんじゃなく、すべてがあるんだということを知ることです。
自分が変わらなければ何も見えてはこないんです」
「牛の乳は山から流れてくるもの」とは斎藤さん流の言い方だが、その表現には「無理に搾り取る」といったこれまでの経営のニュアンスは全くない。
トータルな仕組みを作って自然の力に任せれば、人間が生きる上で必要なすべてのものがすべて与えられる。
そのことを実感するからこそ「乳は山から流れてくる」と言い切れるのだろう。
ちなみに斎藤さんは養蜂業者にも牧場を開放しているため、ハチミツもまた山から流れてくる。
「乳と密の流れる地」というのは「理想郷」をシンボライズする言葉だが、まさに斎藤牧場は来るべき21世紀の社会と経営の理想システムを示唆してくれているかのようだ。