末期ガンを宣告され、50日後のこの笑顔●微量ミネラルのミラクルパワー
2004-01-31
中野さん(56)がガン検診(内視鏡検査)をしたのは、10月31日のこと。
そのときS字結腸には、恐ろしいほどの腫瘍がとぐろを巻いていた。
「大至急手術を!」…、そう書かれていた紹介状をそのまま机にしまい込み、
中野さんは意を決して、ミネラルの大量摂取にトライした。
その日から50日後のこの笑顔。
いったいなぜ、そして何が起きたのか。
劇的なこの健康回帰物語は、いまや中野さん一人のものではない。
■手術せず、ひたすらミネラル摂取
そして40日後、太い便が出るようになった
●「ひょっとしたら…」の不安
中野さんが「体調異変」を自覚したのは、ほぼ一年くらい前のこと。
便秘がひどく、痛みもどんどんひどくなっていた。
「おかしいなぁ、ひょっとしたら…」と、頭の中に「ガン」の文字が浮かんだりもしたが、必死でその思いを打ち消す日々が続いた。
それだけは、絶対に自分で認めたくなかったのだ。
その当時、中野さんはすでに微量ミネラルの効用のことを知っていたこともあり、不安に打ちのめされそうになったときには、思い切って大量に摂取した。
すると、ひどい痛みもしばらくは治まる。
しかし、やがてまた痛みと便秘に悩まされる。
そんな「だましだまし」の暮らしが数ヶ月続き、ついにとうてい我慢できないところにまで至った。
「痛みのサイクルが1ヶ月に1回くらいだったのですが、
それがだんだん狭まってきて、ほぼ毎日のように痛くなったんですよ。
これはやばいと思いました。
女房からは、病院に行くようにとやかましく言われたんですが、
やっぱり行きたくない(笑)。
要するに、ガンを宣告されるのが怖かったんですね」
●恐れていたことが、やっぱり…
「末期ガン宣告」…、それはいまの社会では「死刑宣告」にも等しい。
ときには「末期ガンからの生還」などといった劇的な話も耳にはするが、確率からしたらほんのわずかにすぎないだろう。
あまりにもひどい激痛と便秘に苦しめられ、のっぴきならない状態に追い込まれた中野さんは、ついに「もはや自分をごまかすことはできない」と思うようになった。
しかし、それでも病院には行きたくない。
そこでインターネットを使っていろいろ調べてみた果てに、ある公的検査機関で、まず検査だけしてみようと決意した。
「検査してガンだと分かったとして、いったいどうなるんだ
といった気持ちがそれまでは強かったんですが、
やっぱり白黒をはっきりさせなくてはいけないと思うようになったんです。
それでもまだ私には躊躇があり、
検査に行く前に、まず潜血検査を受けました。
その結果プラス反応が出ましたので、
仕方なく内視鏡検査ということになったんです」
「病院に」ではなくて「公的検査機関」に足を運んだことには、二つの理由があった。
ひとつは、そこは「検査の腕が良いらしく、検査で死亡した例がなかった」こと。
そしてもうひとつが、「ガン宣告から緊急入院というベルトコンベアに乗らなくて済む」ということであった。
それくらい中野さんはガンを恐れており、同時に「きっとガンに違いない」という確信めいたものもあった。
だからこそ「ガン宣告」の日を「死刑宣告」のごとく恐れ、その日を延ばし続けたのだ。
運命の検査は、10月31日に行われた。
普通なら30分ほどかかるはずの検査なのに、中野さんの検査はわずか10分足らずで打ち切られた。
内視鏡を肛門から突っ込んではみたものの、S字結腸に大きな腫瘍ができていて、それ以上カメラを奥に入れることができなかったからである。
しかも腸が破れて出血していた。
こうして、検査は軽く終わったものの、中野さんは重々しい気分に沈んでいった。
「すぐに切らないと、腸閉塞になって危ない。
これだとすぐに腸が塞がってしまいますからね。
優先的に手術してもらえるよう、先生に電話してあげますよ」
と言われ、すぐに病院に行くようにと勧められた。
手術は急を要するようだった。その場で書いてくれた医師への紹介状は、中野さんの手にずっしりと重かった。
公的検査機関からの帰途、「やっぱり…」という思いに沈み込みながらも、どうすべきかを考え続けていた。紹介状を持って病院に行くならば、即刻手術、入院、抗ガン治療のシナリオが待ち受けている。そしてその終着駅は、「死」だ。
その夜、悶々と過ごしているうちに、ふと紹介状の内容が知りたくなった。
いったい何が書いてあるんだろう?
「この人はもうダメだ。すでに手遅れ」とあるのか。
それともまだ多少の希望は残っているのか。それが知りたかった。
その内容を知った上で考えてみるのも一案かと、中野さんは思った。
そこでスパイ映画もどきに、熱湯の蒸気を使って、こっそり封を開けてみることにした。
が、開封の痕跡が残らないよう慎重にことを進めたにもかかわらず、封筒の表に書いてあった文字が、なんと蒸気でにじんでしまった。
「しまった!と思いましたが、もう後の祭りです。
これでは開封したことがバレてしまいますので、
あとはハサミで大胆にジョキジョキ切って開けました(笑)。
そしたら、こんな写真が出てきたんです。
もちろん症状に関するコメントもありましたが、
専門用語だらけで、詳細は理解できませんでした、
しかし末期ガンであることだけは、はっきりと分かりました」
その写真が4ページに紹介したものである。
それには、「早急の加療が必要」とコメントが加えられていた。
さて、どうしよう? やっぱり手術すべきか、開き直るべきか。 開封した果てには、さらに難問が待ち受けていた。
●開き直ってミネラルにかける
普通なら、たぶん選択肢などないだろう。内視鏡で検査をして、これだけはっきりと不気味なガンがトグロを巻いて居座っているのが分かったのだから。
しかも専門医が「緊急手術」を促して、「優先的な手術依頼」を病院の医師にしてくれているくらいなのだから…。
この段に及んだら、急いで病院に駆け込んで、緊急手術をするのが当たり前のこと。
しかし中野さんの場合は、もう一つの選択肢として残っていた開き直りのほうに、しだいに気持ちが傾いていった。
「やっぱり手術するしかないのかなぁとも思いましたが、
まてよ?とも思ったんです。というのも、
私の知り合いで腹を切って良くなった人は一人もいませんでしたし、
それにガンがある場所は、絶対にS字結腸だけじゃない。
違和感からくる私の自覚症状では、ガンはS字結腸部分だけでなく、
その上のほうにもどっかりあぐらをかいているはずだと、
自分ではっきり実感できたからです。
だからもし手術で切り取るとしたら、
大腸をほとんどごっそり切って小腸を直腸に直接つなぐことになる。
つまり大腸がなくなってしまう。
大腸は水分を吸収して便の活動を調整するところなのに、
その大事な大腸を全部切ってしまったら大変なことになってしまう。
だから、絶対に切りたくないと思ったんですよ」
そう思って開き直った中野さんは、とにかくミネラル療法にかけてみることにした。
というより、「その手」が残っていたからこそ、病院に行くことも、手術をすることも断念できたのであろう。
とは言っても、やはり不安はあった。
しかし、苦しかったときにミネラルを大量摂取して「体をだました」記憶を信じることにした。
そう、確かにミネラルには不思議なパワーがある。
本で読んだドクター野島の説明にあったように、大量摂取を続けるならきっと好転していくはずと考え、これにかけてみようと思った。
こうして検査直後の11月の初めから、中野さんはとにかくミネラルを多量に摂取することにした。
それまでも実はずっと飲み続けてきたのだったが、従来の5倍の量に当たる150ミリリットルを毎日摂取することにしたのである。
しかし11月中はやっぱり二日三日と便秘が続き、ものすごい腹痛に襲われた。
4〜5時間も続くその激痛が抜けると、今度はひどい下痢になる。
そしてまた便秘…といったことの繰り返しだった。
「正直、不安はありましたよ。
本当にミネラルだけでいいのだろうか。
とんでもない、取り返しのつかない間違いを犯しているんじゃないのか
といった不安がね。
もし万が一、期待が裏切られて腸閉塞が起こってしまったら、もう終わりです。
だから女房には言っておいたんですよ。
腸閉塞になったら気を失うだろうから、そのときは病院に運んでほしい」
と。
●40日後に「山を越えた」
表面上は空元気を出して振る舞っても、内心ではいつもハラハラしていた。
なにしろ、とんでもない爆弾を腹の中に抱えているのだから気が気じゃない。
人からは、「切るだけ切って、抗ガン剤を打たないで帰ってきたらどうか」とも言われたが、「床屋に行って髪だけ切り、ヒゲを剃らないで帰るというわけにもいかないだろう」と笑って答え、とにかくただひたすらミネラルを摂り続けた。
「おやっ?と思ったのは、12月に入ってからです。
しだいに通じが良くなってきて、1日に2、3回、
中指くらいの太さの便が出るようになったんですよ。
尾籠な話で恐縮ですが、以前の下痢以外のときの便は
うどんの太さくらいに細くて、キシメンみたいにねじ切れれていた。
それが40日後以降はどんどん太い便になったのですから、
急激に回復してきていることが実感として分かりました」
そして12月10日くらいには、「もう山を越えたな」という実感があった。
12月に入ってから「おや、なんか調子がいいぞ」と希望が抱けるようになっていたのだが、やがてそれが確信に変わったのだ。
便の状態がどんどん良くなっていくのと同時に、さまざまな好転反応も出てきていたからである。
10月末のあの写真の状態から2ヶ月も経てば、普通ならガンがさらに大きくなり、腸が閉塞して当然だろう。
ところが中野さんの場合、40日後に「山を越えた」という実感が生まれるに至ったのだ。
これだけ太い便が出るようになったということは、ガンが小さくなってきたまぎれもない証拠。まさに微量ミネラルの、ミラクル(奇跡的)なパワーがもたらしてくれた結果だった。
●ミネラルだけでガンが治る?
こう言い切ってしまうのは早計かもしれない。少なくても中野さんの場合、ミネラルに加えて「プラスアルファ」があったからで、それは「ものの考え方」だった。
腹の中に爆弾を抱えて内心冷や冷やしながらも、中野さんはそれ以上に「明るく考えること」にこれ努めたのだ。
「友人で同業の鈴木公一さんを見ていると、
なんか訳の分からないことをやりながらも、
すべてがちゃんとうまく回って行く。
いったいなぜなんだろうと不思議でしたねぇ。
そして、末期ガンを宣告されたそのときから、
世の中にはまだ科学なんかで理解のできないこともあるんだ
と思うようにしたんです」
中野さんは京都大学工学部卒。大学では電気を専攻し、某大手自動車メーカー、外資系コンピュータ会社と、いわゆる優良大企業を通過したその果てに、思うところあって札幌で学習塾を開いて自立した。
京大時代はボート部で腕を鳴らし、東京オリンピックを目指したりも。
その意味では「知・体」ともに、社会の最先端を走って大活躍してきたのだ。
なのに、いざ自立したとたん、思いがけないことが次々と起こって来る。それがストレスを生み、蓄積する。そしてその果てが「末期ガン宣告」だった。
「人間の精神とか肉体ってのは、深いところでつながっているんですよね。
それが分かったのは鈴木さんのお陰ですし、そしてガンのお陰です。
もしあの宣告を受けて私が病院に行っていたとしたら、
いまごろは管だらけのスパゲッテイ状態でベッドに横たわり、
抗ガン剤の副作用に苦しみながら、
絶望的な日々を過ごしていただろうと思います。
ところがミネラルと鈴木さんのお陰で、
いまは毎日酒を飲んでるくらいですからね(笑)。
ま、日本一明るいガン患者ってところではないでしょうか(笑)」
精神的なものはともかくとして、こうして中野さんは、ミネラル摂取だけで見事末期ガンから抜け出した。そして言う。
「いまの医学は天動説ですが、これからは地動説に変わっていくでしょう。
ガンもほかの病気も、治してくれるのは医者でも手術でも薬でもなく、
自分の中に秘められた自然治癒力です。
要するに、免疫力をぐーんと高める以外に、
病気を根治する道はないんじゃないでしょうか」
「いまの医学は根本がおかしい」
…そう断言する中野さんは、
実際ミラクル(奇跡的)なミネラルパワーをもって、驚くほど元気になった。
微量ミネラルは酵素の働きに不可欠で、
それが驚くべき治癒力を中野さんの体に呼び戻してくれたのだ。
もちろんまだガンが完治したわけではない。
しかし、まもなく行われる再検査で、内視鏡が映し出すその写真は、微量ミネラルの凄まじいパワーを、鮮やかに物語ってくれるにちがいない。
その他... |