シック・マンション・十数年目の叫び・化学物質過敏症は「新しいアレルギー」
十数年間もシック・マンションに住み続け、長い孤独な戦いの果てに、ようやく化学物質過敏症の怖さを言葉にし始めた人がいる。
Bさん(主婦)は、西区山の手に気に入りの住処として購入したマンションに住んで、まさか化学物質過敏症になるなど夢にも思っていなかった。発症するまでの「潜伏」期間が長く、この間に体質が少しずつ変わっていったのだという。しかし、この病気は、化学物質に暴露され身体が極限状態になって初めて発症するもので、それまでしばしば感じることのあった軽い身体の不調を、化学物質過敏症と結び付ける診断すらなかった。というのも、この病気をBさんは医者にすら理解してもらえなかったからだ。今でも専門医は日本に数えるほどしかいない。
シロアリ駆除剤に汚染された家の住人に続いて、今度はこのBさんから、編集部にやはり深刻な被害を訴える電話が鳴った。さっそくBさんに某喫茶店で取材したのだが、Bさんは一時間半も経たないうちに目がチカチカする独特の過敏症の症状に見舞われ、目をあけるのも辛くなった。喫茶店の建材から出る「有毒な揮発物質」に敏感に反応してしまったためだった。Bさんの身体が化学物質に対してセンサーになってしまっている。これこそが、日常生活に組み込まれた「化学物質」による恐るべき「人体実験」の結末だといえるだろう。
夜中に胸の痛みに襲われ…。発症は時間の問題だった!
Bさんが新築のマンションを購入したのは、昭和50年代のこと。近隣には緑豊かな山があり、自然散策にもってこいの環境だった。Bさんは自然が好きだったため、このマンションが気に入り、さっそく一家で入居した。ところが住むうちに、何となく体調が思わしくなくなってくる。それもBさんだけだった。夫も子供も自覚症状がなかったため、当初はBさんだけの問題としか思われなかった。
症状は「目がチカチカして、まぶしくなったり」「鼻や口の粘膜、気管支がいがいがして、頭が痛くなったり」した。さらに「胃がムカムカ」したり、「首から背中、腕の外側それに手、足までもじーん、じーんとする痛みが走り、関節部分が痒くなった」という。
やがて、時折、酸素が欠乏したように息苦しさも感じるようになったが、胸をしめつけられるような感じを覚えることもあった。それも、外の空気を吸うなどすると、すぐに回復した。
また、「汗もよく出るようになり、その部分の皮膚が痛くなった」が、水道で洗っても、石鹸を使っても、治らない。
体調が悪化していくなかで、Bさんは夜中になると胸が痛くなるようになった。パーマをかけに行き、排気ガスを吸って帰ってきたその日の晩から「一週間くらい症状が続いた」。病院で二四時間ホルダーをつけて心臓の検査を受け、さらに心筋梗塞の検査もしたが、結局診断は、心身症だと言われただけだった。「医者もわからない」Bさんは、納得がいかなかった。
患者だけが増え続け…
米医師の本が教えてくれた「化学物質過敏症」
そんなBさんが出会ったのが、化学物質過敏症を研究する臨床医ランドルフとモスの著した「ランドルフ博士の新しいアレルギー根絶法」。
これは、一九九四年に出版されたもので、Bさんが読んだのは翌95年。「化学物質過敏症」という言葉も病名も、まだ日本には一般に馴染みのないころのことだった。
Bさんはこの本ではじめて「化学物質過敏症」という病気があることを知った。
「この本を読んでみると、自分で身体がいやなものは遠ざける、石油でつくられたものはダメだというようなことが書かれていた」
すでにBさんは「本を読む前から同じことを感じていて、身体でわかっていた」ため、自分が「化学物質過敏症」だとすぐに直感したという。
この本と出会ってBさんの気持は少し晴れたが、主治医には理解されず、診断は依然変わっていない。
ところで、ランドルフ博士も、伝統的アカデミー医学から激しい抵抗を受けたという。これは、レイチェル・カーソンが主に生態系の環境汚染を警告した優れた古典「沈黙の春」を出版した時に、企業側から猛烈に反発されたのに相似する。この点「アメリカも日本と同じ」だが、一方ランドルフ博士に軍配が上がるのに、そう時間はかかっていない。
日本でも、化学物質過敏症の専門家は指折り数える程度の数であり、一般に医者の理解はまだ低いといわれている。こうした背景で、患者の数だけが増え続ける。しかもBさんのように、長い間医者にも理解されないという患者も数多いはずだ。
汚染されたマンションの水。夫も「化学物質過敏症」に
Bさんは、家族の中で「最初に発症した患者」であり、「家族で唯一の患者」だったともいえる。そのため、夫にも「化学物質過敏症の患者」という理解はあまりされてはいなかった。
その夫が、「去年の暮れにアトピー性皮膚炎になった」。アトピーの専門医に見てもらったところ、化学物質過敏症の診断を受ける。やっときちんと診断をしてくれる医者に出会え、救われる思いがしたとBさんは話す。
これより一年半ほど前に、マンションの住人総会でマンションの水に赤錆防除剤を入れる決議がされ、それ以後蛇口をひねると、酸化防止剤という新たな汚染物質を増やした水が出てくるようになった。Bさんの夫のアトピー性皮膚炎は、長年マンションの有毒な揮発物質を体内にためこんだ挙げ句、この化学物質に汚染された水に誘発され発症したものとも思われる。
被害は夫に留まらず、三匹の飼い犬にも拡大し、夫同様二匹がアトピー性皮膚炎になった。しかも、そのうちの一匹は乳腺腫になり、さらに卵巣と子宮が腫れて水腫まで患い、もう一匹は乳腺腫になった。さらに残る一匹も卵巣と子宮に水腫が出来、すでに死亡している。
これは、何を物語っているのだろうか。単なる偶然の一致として片付けられてよいものだろうか。
「安全宣言」の果てに
「住民に言っても、理解されず浮き上がってしまう」し、「管理組合は、サービス会社に依託していると言って、取り合わず、安全だと言う防錆剤業者の言いなり」「町内会も同じこと」
穏やかながら、Bさんの言葉には長年の思いが込められている。
では、業者の「安全宣言」の根拠は、いったい何か。その根拠は、どこのマンションでも使っているものだから、安全だというものでしかない。
「今では、使う量も増えている。水も空気も汚染され、完全に複合汚染のマンションです」と、Bさんはやり場のない気持を話す。
Bさんのマンションの例は、どこにでもころがっている氷山の一角にすぎない。ただ、気づかれていないのだ。化学物質に暴露され続けていても、その人の極限状態を超えてはじめて、病気が発症するからだ。しかし、たとえ発症しても、それが環境病だと気付くとはかぎらない。指摘する医者がいなければ、それは心身症や喘息だと診断され、それにアトピー性皮膚炎、自律神経失調症も加わってくるかもしれない。化学物質との関連性を疑われているガンなども誘発すれば、立派な「病気の問屋」になってしまうことになる。
「昭和20年代はDDTに、30年代は畑の農薬、そして40年代からは新建材に汚染されてきた」
Bさんは、まさに化学物質の複合汚染にさらされて生きてきた「企業からも、行政からも何も知らされなかった」市民の姿そのものである。
「着るもの、食べるもの、家具までも選ばなければならず、もちろんプラスチックの食器は絶対使えない。出かけても気分が悪くなる場所には近づけない」
身体そのものがセンサーになってしまっているBさんから、後日、編集部に再び電話がきた。取材場所の喫茶店の「新建材のガスを吸った」衣服をクリーニングに出すためにビニール袋に保管したのだが、クリーニング屋さんに出す時に、密閉していた袋から出したとたん、いっぺんに気分が悪くなり寝込んだという内容だった。汚染されてからでは、遅い。
(稲田陽子)
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