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西野のシックハウスAさん親子の苦悩。何もかもが遅かった…

 「去年の秋から、異様な空気が家に入ってくる。いつも近隣の空気に悩まされているが、このごろは芳香剤の匂いがする」
 そのために、Aさん親子は体調が思わしくない。「有機リン中毒症」の診断は、「化学物質過敏症」の臨床研究分野での日本の草分け的存在である、北里大学・宮田教授から受けている。平成七年のこと。その時、「家に帰ったら、またどんどん悪くなる」といった医師の言葉が、今もAさん親子の記憶に鮮明だ。
 その言葉通り、Aさんの汚染された家は、その後も二人の身体をむしばみ続けている。化学物質に汚染され続けると、身体自体がセンサーになり、ごく微量の化学物質が体内に吸収されただけで体調に変調をきたすことは珍しくない。これは山の手のシックマンションの住人のケースと似ている。
 当然、近隣から排出される芳香剤にも、Aさん親子は敏感に身体が反応してしまう。外の空気は辛く、娘さんの唇と舌は赤く腫れ、口内炎もできている。
 「有機リン系シロアリ防除剤の有毒ガス吸着汚染」から八年という歳月が流れ、有毒ガスはAさん宅に吸着したまま、親子は「化学物質過敏症」を発症した。裁判も起こしたが、立証されず、いまだに地域住民からの理解も薄い。業者の責任が問われることもない。
 本紙では人道的な立場から札幌市と市議に働きかけ、保健所が異例の迅速な検査を行った。その結果は、有機リン系ガス・クロロピリホスについては問題のない数値だったそうだが、シロアリ駆除剤に含まれるアイエフセンというもう一つの問題化学物質については調べられていなかった。これはまだ不明なところが多い物質で、揮発性が高く、成分にヨードが含まれているという。
 Aさん親子はシロアリ駆除剤に暴露してから「有機リン中毒」になり、救急車で緊急入院をしたこともあったが、その他にも重大な症状があらわれ、とくに顕著だったのが、甲状腺異常だった。しかしさらに問題だったのが、Aさん親子宅に対して近隣や業者の理解と認識があまりにも低いことだった。
 暴露2年後に、保健所などでは調べられない問題の「アイエフセン」について大阪大学の植村助教授(退官)に相談したところ、「ベランダに一晩、消毒用ガーゼを置き、近隣の空気を採取して、それを冷凍したものを送るように」と言われた。その結果、成分のヨードが検出されたのだ。
 クロロピリホスはどうだろうか。当時、近隣の土壌からは採取されていたものの、Aさん親子宅の空気採取では出ないとされた。これが、裁判でAさん親子の暴露被害が立証されなかった大きな要因となったと言われている。ところが、調べ方に問題があったようだ。当時、道の検査員は「15分くらい調べただけで」結論を出してきたという。今回担当した札幌市保健所の浦島さんは、24時間にわたりAさん親子宅の空気を調べたというから、当時の検査がいかにいい加減なものだったのか伺い知れるところだ。
 Aさん親子が、道の検査に納得が行かずに大阪大学でクロロピリホスを調べてもらったのも、アイエフセン検査と前後し被爆して二年も後のことだった。この時、すでに微量だったが、二年たってもクロロピリホスは確かに検出されたという重大で興味深い事実がある。
 ところで記者は、昨年12月に取材した時に、Aさん宅で異様な匂いを感じ、唇や咽などがぴりぴりするなど「化学物質過敏症」のような体調異変を起こした。こうした現象を思い起こすにつけ、何か腑に落ちないものを感じている。というのも、記者は、化学物質過敏症を発症しているわけではないから、異常のない家で「化学物質過敏症」と同様の体調異変を感じるわけがないのだ。
 後日、浦島さんにこの匂いについて問い合わせたところ、「確かに検査の打ち合わせで訪ねた時、若干そんな匂いを感じた」という。しかし、検査の日には「その匂いは感じなかった」
 この匂いは、風向きなどで、感じないこともあるというが、その正体を探らなければ、真相はわからないのではないか。 
 とにかく明らかなのは、Aさん親子が専門医に診断されたれっきとした「有機リン中毒症」であると同時に、「化学物質過敏症」だということだ。
 人の身体はナノ(十億分の一)の単位の超微量レベルで慢性的に暴露された場合、身体には逆に大きな影響を受けるという「ナノサイエンス」の研究も最近では進んでいる。だとしたら、計測器の数値だけで「問題なし」と判断するのではなく、目の前に苦悩している患者がいるという事実を尊重して、行政も何らかの対策を講じるべきではなかろうか。
 Aさん宅を訪れる者誰もが感じる「異様な匂い」だけが、事実を知っているのかもしれない。そしてその異様な匂いはAさん宅に、またその周辺に漂って、事実を語りたがっているのかもしれない。
 Aさん親子はこうした危険な環境から逃げ出す力も、すでに奪われている。経済的な理由で、もはや他に引っ越すこともできないのだ。しかも身体が反応するため、外出もままならない。まして働きに出ることなどとうてい無理だろう。「化学物質過敏症」患者の痛ましい現実が、そこにある。
 「ただ芳香剤のような異様な匂いと、ひどい口の痛みから逃れたい」
 Aさんの娘さんは、そう願うだけで今は精一杯だ。     

(稲田陽子)

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