みな 黙りこくっている
「エコろじー」創刊号を配布した数日後、読者から一本の電話が入った。それは「ハイケさんの地球環境問題の記事を読んで非常に共鳴させられた」という話題から始まったが、話を聞いているうちに「何かとてつもない重大なことを話されているのではないか」という予感を覚えるようになった。その内容とは、「隣家で使用した白アリ防除剤が有毒ガスを発生し被害を受け続けているが、周りはその事実にフタをしようとしている」…というようなことだった。
記者は白アリ防除剤に関しては素人同然である。しかしその素人が聞いてもおかしいと思える疑問が、いくつも心の中に沸き上がってきた。例えば、
(1)これだけ大きな被害を出しながら、なぜ住民は黙っているのか。空気汚染なのだから、なぜ住民同士の連携がないのだろう。
(2)なぜ町内会は被害者の訴えを却下してしまい、挙げ句の果てに村八分のようなことをしてしまうのか。
(3)大元の原因となっている隣家は白アリ防除剤の被害になぜ沈黙しているのか。加害者となってしまった隣家は同時に被害者でもあるのだから、なぜ業者にクレームをつけないのか。
(4)なぜ裁判所にまで見放されてしまったのか。
………
その家に入ると、異様な臭いが漂っていた。居間に通されると、空気清浄機の音が絶えずゴーゴーと響いている。「大きな換気扇を七つも回しているんですよ」
その家人が説明してくれた。
「室温は十四度にしています」
でないと、有毒ガスの揮発がひどくなるからだと言う。
八年半も前の白アリ防除剤がいまなお発生し続けているのだ。一度家に染み込んだ薬剤は、20年くらい経たないと揮発し切らないのだそうだ。
家人は何度かこの家から逃げ出す試みも繰り返したが、経済的な理由もあって結局果たせなかった。その間、何度か救急車のお世話になり、入院もした。当時入院先(平和病院)の医師は、「明らかに環境汚染の被害」と指摘している。「有毒ガスによる中毒症である」と診断を下しているのだ。
この医師の言葉は非常に重い。
取材は2人で行ったのだが、先に異変を感じたのは私のほうだった。20〜30分ほど話しているうちに喉がピリピリとし始め、さらに目や唇にも同様の異変が起きた。口の中にも妙な味がする。確かに空気が汚染されている。それが何らかの害のある化学物質であることに、間違いはない。
同行の記者もしばらくして、同様の異変を感じたようだった。
では、家人はどうなのか。家人は「空気清浄機や大きな換気扇を取り付けることで多少は改善でき、やっと生きていられる状態」なのだと言う。恐らく慢性化した状態に慣らされてしまったと見て正解だろう。しかし「最近は筋肉もやられている」と苦笑した。
記者の体調が悪くなりかけたこともあっていとまごいしようとしたとき、家人があわててお茶を運んできた。その茶碗も有毒ガスを吸収しているために、「お茶を出すのもためらった」のだと言う。急いでいたこともありお茶はいただかず、そばに置いていたオーバーを着込んですぐ車に乗り込んだ。しかしそのとき、家の中ほどではなかったものの、外にも「同じ臭い」が漂っていることに気付いた。毒ガスは風に乗って拡散しているにちがいなかった。
車を運転していると、着ているものから立ち昇る「不吉なあるもの」が挑みかかってくる。喉がピリピリし、頭が痛い。口の中にも妙な味がする。胸が悪くなり、軽い吐き気のようなものさえ感じる。
これが「有毒ガスの中毒」なのか…と、改めてそのしつこい触手に驚きを禁じ得ない。一度吸い込んだガスは、こうしてどこまでもまとわりついてくるのだから。
………
「自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不吉に思い、不吉な予感におびえた」
「春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜はあける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音ひとつしない。野原、森、沼地……みな黙りこくっている」
「でも、敵におそわれたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍だったのだ」
海洋学者であったレーチェル・カーソンは、自然界の異変にいち早く注目し、40年ほど前にあの有名な『沈黙の春』を著した。農薬の問題を切り口に、人類が直面する地球環境問題を見事に予言したのだ。
当時は企業サイドの反発も強く、カーソン女史は苦境に立たされたこともあったが、ガンに冒されながらも最後まで科学者としての立場を貫いた。美しい詩的な著書『センス・オブ・ワンダー』では、自然への驚き、愛を、見事にうたいあげている。
カーソン女史の告発から、すでに数十年…。地球環境破壊に見舞われている現状を認めざるをえない時代となっている。世界の先進国が動き出している。地球はひとつにつながっているからだ。
欧米はいち早く産業革命を体験し、環境汚染に敏感だ。だから対策には日本より20年も前から真剣に取り組んできたのだ。
オランダのハーグで環境会議が開かれたが、企業経済優先の日本は、行政指導も甘く、徹底したところが見られていない。きちんとした法律もできていない。
西野の一角の家は、いわば「死の家」だ。「無法地帯で起きた有毒ガス事件」は、無惨に切り捨てられようとしている。行政の適切な指導も行われず、証拠不十分として裁判所からも見放され、日本独特の「村社会」である町内会からも村八分に遭っている。
あの家に行けば、誰でも感じる「異変」…。そこに政治や行政の温かさがなぜ届かないのだろうか。人権なき国とは、この国のことではないのか。借りて持ち帰った本から立ち昇る「有毒ガス」に喉がピリピリし、頭痛も覚えながら、被害者宅への住民や町内会の反応に、記者は「日本社会の縮図」を見る思いがした。
まさに人権のない「環境後進国」とはこの国、日本の現実の姿なのだ。いま「死の家」の住人は、「反農薬東京グループ」にサポートされながら、国に直訴している。
(稲田陽子)