多数決とは別の、ウコチャランケ●共生・共感・合議の知恵
川や空気にも言い分?
しかし本当の意味は、ウ=互い、コ=それ、チャ=言葉、ランケ=降ろす…であり、つまりお互いに持っている言葉をそこにおろし、公正に判断しようというのが本来の意味なのです」
萱野さんはウコチャランケを、人間の社会のみならず、野生動物や自然界全体にまで広げて説明する。
すなわち空気や空や流れる水や川や海、また樹木にも生命を認め、さらにキツネや小鳥やサカナたちの言い分もちゃんと聞いてあげる。それがアイヌでのウコチャランケだと言うのだ。
環境問題や自然との共生が大きなテーマになりつつあるいま、ウコチャランケはまさに現代人が立ち返るべき「場」とはいえないだろうか。ちなみに「クマ出没騒動」などでは「クマの言い分?」もちゃんと聞いてあげるべきだろうし、開発に際してもそれは同じで、自然サイドの主張も聞いてあげたほうがいい。というのも、人間側の損得勘定や都合だけで物事を進めて行っては、必ずどこかでしっぺ返しに合うからだ。だから「人間社会のためにも、ウコチャランケが大切」と萱野さんは言う。
ウコチャランケを簡潔に言い換えるならば、それは、「みんなで自由に、忌憚なく語り合おうよ」ということであろう。
要するに、それぞれの心の中にある言葉(チャ=思い、考え、意見、アイデア等々)を、それぞれ(みんな)が互い(ウ)に「そこ」に降ろす(ランケ)…。
「言葉を降ろす」とは、なんとステキな表現であろう。そこにはお互いに「自然に・正直に・素直に語らい合う」という姿勢が現れているからだ。
アイヌ語のウコチャランケは、本来人間だけでなく自然界全体をも含む概念のようだが、人間社会だけに限ってみても、私たちの周囲には、ウコチャランケとはほど遠い現実が満ちあふれている。
実際、私たちは普段心の中にもっている言葉を、果たして素直に正直に表現できているであろうか。みんなで「言葉を降ろす場」を、常に共有しあえているだろうか。気軽に、自由に、自分の思いを伝えることができているのだろうか。
多くの場合、自分の心の中にある言葉(本音)をそのまま飲み込んでしまって沈黙し、あるいは人の言葉を感情的に拒絶する。そして十分に理解も納得もできないまま、周辺の空気やことの成り行きに流されてしまいがちだ。
なるほど、これまではそれでも仕方なかったかもしれないが、果たしてこれからもそういった姿勢で生きていっていいのだろうか。
さて、ウコチャランケ…。ぼくはそこに「共生の知恵」を見るような気がする。
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